小さなダイヤを受け取る

物事を悲観的な方向にだけとらえる人たちがいます。
何が起こっても、それが不安や苦しみのタネになる。
そういう考え方のクセは、長期的に続く気分の不調になり、何事にも消極的な姿勢になり、
結局生きていても、毎日がどんよりと曇っている状態になってしまいます。

本人もそんな感じ方から抜け出したいと思っているのに、なかなかうまくいかないようです。
でも先日あるかたから「メレダイヤ集め」のお話を聞いて、これは悲観的な人には参考になることかなと思いました。

「メレダイヤ集め」は,故遠藤優子先生の言葉です。引用してみます。

(ASK選書14「苦しさの一番奥にあるのは『見捨てられ不安』だった」ASKヒューマンケア)

悲観的な見方をしてしまう根源は、この「メレダイヤ」を受け取れないことにあるのかもしれません。

この文章は「人間関係」のことについて書いてありますが、これは日常のひとつひとつのことにあてはめて考えることができます。

「今日はお天気がよくて空がきれいだった」
「ランチで入ったお店が美味しかった」
「結構仕事がはかどった」

メレダイヤのような小さな喜びは毎日の生活に散りばめられています。
その喜びは、ふっと湧き上がってきます。
しかし悲観的な人は、その喜びを次に浮かんでくる第二念で打ち消してしまう。

特に自分に関連してくることだと、その傾向は顕著です。
「ほめられたけれど、あまり期待されるのもなぁ・・・」
「誕生日プレゼントもらったけど、お返しがちょっと面倒」
「電車で席を譲ってもらったけれど、そんなに年寄りに見えたのかしら」
このときの気持ちをよく見てみると、最初に必ず小さな「うれしさ」があるはずです。
ほめられたり、プレゼントをされてもうれしくないのは、よほどのあまのじゃく。

この最初のうれしさが「純なこころ」です。
それをつかまえる。
そしてしっかり受け止める。

プレゼントのお返しを気にするなど、そのあとに起こりそうなことを考えるのは、もっと先でいい。

メレダイヤのような「純なこころ」を受け取れず、いつも第二念、第三念が湧き起こってくるのは、その人の心に「かくあるべし」があるからでしょう。
「こうでなくてはならない」「普通こうだろう」「きっとこんなことが起こるだろう」などという決めつけが、必ず「うれしさ」のあとに来るので、その人の思考は幸福な気持ちを打ち消し続けていることになります。

「今、ここ」の小さく輝く「純なこころ」をしっかり受け取る。
それを続けられたら、周囲の人に対する見方や、自分の環境に対する見方は少しずつ変わっていくのではないでしょうか。
実際には、私たちはたくさんの「喜び」に囲まれているはず。

たとえ現在困難な状況であったにしても、たった今の小さな「喜び」を見つけて味わうことについては、何の差し障りもないでしょう。


ブログ「ランダム・マンダラ」より 一部加筆(2019)