人生の四季と森田療法(2)

森田療法で神経質者はどう変わるか

それでは、森田療法を受けた神経質者はどのように変わっていったのでしょう? 具体的な例を見てみましょう。

「根岸症例」という森田博士自慢の治癒例があります。これは、「神経衰弱と強迫観念の根治法」や、その他何冊もの本に取り上げられているケースです。根岸君という20歳の青年、当時の高校生の赤面恐怖治癒例です。彼は、短い間の入院治療とその後の房州への転地療養中に森田博士の通信指導を受け、見事に赤面恐怖を克服しただけではなく、人生観まで変化していくのです。

彼は言います。
「先生はおまえの価値はこのくらいだと一言も言わずに、私に私の価値を知らしめてくださった。――何らの失望も伴わずにーー私は英雄でも豪傑でもなかった。純な弱い子供だったのだ」

彼はもうこの時点で「等身大の自分」を認める事ができています。

そして20歳だった思春期の彼は、その後どのような青年期・壮年期を過ごしたのでしょう。実は、形外会の話題にこの「根岸君」が森田博士にあてた手紙の一節が出てきます。

「小生にとって、今は人生の日中にて暖かい太陽は、頭上に力ある光を放っています。また従来の精神の内向性は、次第に外向性に転じ、自己の測定ということよりも、仕事の能率とか、日常生活の整頓とか、人に親切にすることとか、すべて心は外に向かって熱心になってきました」

この言葉でわかるように、自分のことばかり考える彼の内向的な性格は、もっと現実的な方向へと転換しています。仕事や日常生活、他者への配慮に目が向き、現実を前に進めていくことが最優先となっています。この根岸君のような状態が、神経質者の変化を端的に表しているのではないかと思われます。

神経質者の成長を妨げるもの

けれどいくら森田療法を実践し学習しても、こんな生き生きした状態になれないとおっしゃるかたも多いと思います。
神経質という性格には成長を妨げる要素もたくさんあるのです。
たとえばどんなことか、思い当たる例をいくつかあげてみましょう。

  • いつも不安にこだわる。――自分の不安の方にまず目が向いてしまうクセ。
  • 消極性――恐怖のためにいろいろなことにストップがかかる。
  • 拮抗作用があるため、両極の葛藤で行動がにぶる。
  • 不全感――何をやっても、できなかったほうに目が向く。
  • 不可能な理想を掲げ、無理をして、できない自分を責める。
  • 不快感をなくすことにこだわり、あきらめられない。
  • 功利的で、損得を過度に考えてしまい、人生の幅が狭まる。

つまり、自分のなかの不安感、不快感、不全感等に目が向きすぎていて、そういう感覚が「なくなる」はずだと錯覚し、そちらへ注力している状態のままでいるかたが多いようです。

不安感などの感覚は人間である限りいつでも自分のなかにあるもの。そして自分の頭のなかのことに目が向いている限り、それは邪魔ものにしか見えないのです。ただ目を外に、現実の進展のほうに向けていけば、その不快感は邪魔ものではなくなるのです。

成長を促す森田の言葉

神経症というものを大きな視点からとらえた森田博士の言葉があります。

神経症は大きな境地に達するためのプロセスであると言っています。そしてその境地に達するためには「自分の本来の心」を自覚することだと言っているのです。
それはつまり、よく言われる不安の裏にある大きな欲望を自覚し、その欲望を実現することに邁進すれば、迷妄の時期はいつか過ぎ去るということです。

人が成長するのは、そこに希望があり、それを少しでも実現したいと思うからです。ただただ自分の苦悩を解決しようとし、苦しみばかり見つめていても、そこには抽象的な観念のやりくりしかありません。
私たちは苦悩を解決するために生きているのではない。希望を実現するために生きている。
その大前提を見失うと、森田療法は症状を減らすための小手先のテクニックのようになってしまうのです。

(つづく)